人前でのさまざまな行為で極度に緊張したり強い恐怖感を抱いたりして社会的活動が制約を受けるのが社交不安症である。社交不安症という呼び名はDSM-5での呼称であり、従来日本では対人恐怖症と呼ばれていた。当初は日本人特有の疾患だ考えられていたが、近年になって他国でも患者が存在することが明らかとなり、DSM-4から社交不安障害として取り上げられるようになった経緯がある。
一方、回避性パーソナリティ障害は、批判されたり、嘲笑されたり、恥をかいたりすることを恐れるがあまり、人との接触を過度に避けようとする。誰かが少しでも批判的なことを言ったり、拒絶と受け取れる反応をされたりすると、過度に深刻にとらえ、とても傷ついた気持ちになり、好かれていることや、批判されないことが確証されない限り新しい友人を作ろうとしない。しかし、批判なしで受け入れられるという保証があれば、親密な関係をもつことも可能だとされる。
私には社交不安障害と回避性パーソナリティ障害の両方が当てはまっている。
ここで社交不安症と回避性パーソナリティ障害のDSM-5における診断基準を示す。
社交不安症
A. 他者の注目を浴びる可能性のある1つ以上の社交場面に対する、著しい恐怖または不安。
B. その人は、ある振る舞いをするか、または不安症状を見せることが、否定的な評価を受けることになると恐れている。
C. その社交的状況はほとんど常に恐怖または不安を誘発する。
D. その社交的状況は回避され、または、強い恐怖または不安を感じながら堪え忍ばれている。
E. その恐怖または不安は、その社交的状況がもたらす現実の危険や、その社会文化的背景に釣り合わない。
F. その恐怖、不安、または回避は持続的であり、典型的には6ヵ月以上続く。
G. その恐怖、不安、または回避は、臨床的に意味のある苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こす。
以上の基準の4つ以上を満たす必要がある。
回避性パーソナリティ障害
1. 批判、非難、または拒絶に対する恐怖のために、重要な対人接触のある職業的活動を避ける。
2. 好かれていると確信できなければ、人と関係をもちたがらない 。
3. 恥をかかされる、または嘲笑されることを恐れるために、親密な関係の中でも遠慮を示す。
4. 社会的な状況では、批判される、または拒絶されることに心がとらわれている。
5. 不全感のために、新しい対人関係状況で制止が起こる。
6. 自分は社会的に不適切である、人間として長所がない、または他の人より劣っていると思っている。
7. 恥ずかしいことになるかもしれないという理由で、個人的な危険をおかすこと、または何か新しい活動にとりかかることに、異常なほど引っ込み思案である。
以上の基準の4つ以上を満たす必要がある。
両方の診断基準はかなりダブっている。どちらも他者から否定的評価を受けることを恐れて、そういった場面を回避したり強い恐怖を感じたりしながら耐え忍ばれている。社交不安症と診断される人たちの少なくない人たちは同時に回避性パーソナリティ障害の診断基準も満たすとされている。
ややもすると引きこもり状態で全く社会参加をしない状態の人を回避性パーソナリティ障害とし、曲がりなりにも仕事などができている人を社交不安症とするといった傾向がありがちである。だが回避性パーソナリティ障害の診断基準には引きこもりについての言及はない。引きこもりではなくとも回避性パーソナリティ障害だというケースはあるのだ。
回避性パーソナリティ障害の診断基準には明記されていないが、パーソナリティ障害なので人生早期の時点において既にいくつかの診断基準を満たしていることが必要とされるだろう。このことは幼児の時点において既に回避性パーソナリティ障害の傾向が見られるということである。
私の回避性パーソナリティ障害の傾向は幼児の頃からあった。幼稚園では友達は一人もできなかった。他の園児と会話したことは一度もない。常に孤立していた。小学校では他の友達グループに紛れていたが、ただグループの後をついていくだけだった。
中学生になった時、他人との付き合い方が分からなくなり、このまま友達は作らないで生きようと決めた。中学、高校では偶然同じ趣味の友人ができたが、大学、社会人になってから友人は一人もできなかった。
生涯未婚である。30代になって分譲マンションを買ったが、理事会の理事に選ばれて組合員の前で無様な姿をさらすのが恐怖で5年ほどでマンションを安く叩き売ってアパートに移り住んだ。会社の管理職登用の昇進試験で面接試験があるのだが、2回連続で不合格となった後は昇格試験を辞退するようになった。自分のような欠陥者は面接者の前で笑いものになるだけだと考えたのだ。おかげで万年平社員だった。
社交不安症は「あがり症」などともいわれることがあるが、そういったわかりやすい症状ばかりではない。私の場合は表情が泣いたようになり、そのために人から馬鹿にされて咳払いされるという症状がメインである。クリニックのサイトを見ると、他人の咳払いを悪意と受け取ることは統合失調症の関係妄想の一例とされている。だが私の他人の咳払いに関する症状はもう35年以上前からあって増悪することがない。統合失調症の症状とは独立した社交不安症の症状なのだろう。