以前、アパートの2階に住んでいたのだが、1階に住んでいる住人から何年も嫌がらせを受けていた。こう書くと読む人は妄想や幻聴を書いているのではないかと思うかもしれないが、ここでは自分の感じたことをそのまま書かせてもらうことにする。
その嫌がらせというのが、階下からバンバンと叩く音がするのである。その音は風呂を使った後に決まってするのだ。風呂を使い終わって風呂の水を抜いた後で浴槽の下あたりからバンバンと鳴り出す。時間にして10分間くらい。それが毎日毎回1回の抜かりもなく必ず鳴るのである。
アパートの浴室の天井には大きな丸い蓋があり、天井裏にアクセスできる構造になっている。階下の住人がこの蓋を開けて2階の浴槽の下あたりを叩いているのではないかと思った。
なぜ階下の住人がそんなことをするのか理由を考えてみたが、台所の床下が傷んでいるためか、歩くとギシギシと割と大きな音がするのである。自炊で台所に立つことがあるので、階下の住人はその音を不快に感じて嫌がらせで音を立てているのではないかもしれないと考えた。
嫌がらせの音は風呂以外にもあった。夜半になると階下で窓ガラスを勢いよくガシャンと閉める大きな音を立てるのである。大きな音が聞こえたら1階に降りてみるのだが、3部屋あるどの部屋にも灯がついておらず、人がいる気配がしない。そんなことが何度もあった。1階の住人が音を立てて、すぐに灯を消しているのだろうかと思った。
嫌がらせは音だけにとどまらなかった。深夜、ベッドで寝ていると床を何度も突き上げられるような感じがした。これは階下の住人が床を突き上げることで、私が眠ることを妨害しようとしていると思った。ある晩は床の突き上げが朝まで続き、眠れなかったことがある。
それにしても階下の住人はどういう方法で2階の床下を突き上げているのだろうかと不思議だった。2階の床下が突き上げられていると分かるほどにするには、かなり強い力で2階の床下を押し上げなくてはならない。しかもベッドは2階の壁際にあるのだ。そんな位置にあるベッドで突き上げられていると感じられるようにすることなど可能なのだろうかと思った。だが現実に感じているので、1階の天井板を外して、2階の床下を直接押し上げているのかもしれないと考えてみたりした。
そんな状態が数年続いたある日、階下の部屋でリフォーム工事が行われていることに気づいた。すると直前まで聞こえていた音は階下の住人が立てているのではないことになる。
階下でリフォーム工事が行われている間に風呂を使った後で相変わらずバンバンと音がする。この音は風呂の暖かい温水がパイプを通ることでパイプが一旦拡張し、温水が通らなくなって冷えてくるとパイプが収縮して、何らかの仕組みでバンバンという音が発生しているのだと考えざるを得なかった。
リフォーム工事が終わった後で、夜間になって階下の部屋の窓から室内を薄明かりに目を凝らして見ると、がらんとしており、何もないのでまだ誰も入居していないと思った。
しばらくすると階下の部屋にソファらしきものが置かれているのが分かった。さらにはカーテンが引かれているようになった。階下の部屋に新しい住人が入居したことは明らかである。
それが分かってからである。風呂を使った後に必ず鳴るバンバンという音が、階下の住人が慣らしているように感じられるようになった。詳しく言うと、冷えてバンバンと音が鳴るようになった後で、階下の住人がそれにタイミングを合わせて何かを叩いて音を立てていると感じられるのである。
それに夜に階下で窓ガラスをガシャンと大きな音を立てて閉めることが再び起きるようになった。さらには床下を突き上げられる感じも再び起きてきた。
以前の住人がいた時と同じ現象が起きるようになったのだ。そうすると新しく入居した住人は、実は以前の住人であり、私に嫌がらせをするために、リフォーム工事が終わって再び入居してきたのではないかと考えざるを得なかった。
しかし、そんなことまでする人がいるだろうかとも考えた。いくら嫌がらせをするからといっても、一度退去した部屋に再び入居するとは、現実にいるとすれば相当執念深い人間に違いない。
常識的に考えればそんなことまでする人はいないことになる。そうすると私の考えは妄想ということになる。だが現実に以前と全く同じ嫌がらせが起きているので、自分としては同じ人が再び入居してきて、嫌がらせを再開したとしか考えられなかった。
この場合の現実に起きていると感じていることは幻聴や妄想の結果であるということが客観的な考え方だ。その時の私は現実を客観的に認識することができていなかったといえる。
階下の住人がどうやって2階の床下を突き上げているのかを突き止めるために、階下の部屋のドアにある郵便物などを差し入れる枠の蓋をそっと開けて室内を見てみたことがある。枠が狭いのではっきりとは見えなかったが、部屋の中央に何かが積み上げられているように見えた。その上に登れば2階の床下を押し上げることができそうに思えた。
その話を医師にすると、「それは犯罪ですよ」と叱られた。確かに他人の家を覗き見ることは犯罪である。当時の私は被害者意識が強くて、その行為の違法性を認識することができなかったのだ。