私が学生時代だった1970年代、日本の精神医学会に反精神医学に関する一種のブームが起きていた。反精神医学とは当時、伝統的な精神医学に対する反省から生まれたもので、精神病患者の人権尊重を掲げていた。
いすず書房からR.D.レインの「引き裂かれた自己」や、マルグリート・セシュエーの「分裂病の少女の手記」などが出版されていた。
私はそういった統合失調症(当時は精神分裂病と呼ばれていた)に関する書籍を何冊も購入して読んだものだ。
なぜそういった書籍を読んだのかというと、当時の私は統合失調症になりたかったからだ。といってもわかりにくいと思うが、対人恐怖の症状で悩んでいた私は、この症状が対人恐怖などいわゆる神経症圏の疾患ではなく、原因のよく分からない統合失調症から起きているものであれば納得できたからだ。
神経症では本人の考え方が原因に含まれてくるが、統合失調症は精神病であり、本人の考え方とは無関係な原因になるため、本人の責任ではなくなる。
私の症状に私の責任がないのであれば、自分でなんとか努力して治す必要がなく、症状に対する後ろめたさといった感情を感じなくてすむ。
現実に統合失調症で苦しんでいる人にとってみればとんでもない考えだとは思うが、対人恐怖の症状を持て余していた私には、統合失調症になることで症状が自己責任ではなくなり、精神科での治療対象となるので気持ちが楽になると考えた。
それから40年近く過ぎた今になって私は統合失調感情障害という診断を受けた。この診断は私にとっては長年の疑問が氷解する契機となった。私の症状は一般的な対人恐怖の症状とは、被害者的な症状が強くて少し異なっていたからだ。
私の疾患名をもっと早く聞く機会はいくらでもあったのだが、なぜか自分からは質問しづらい感覚があって、これまで医師に聞いたことがなかった。
私の統合失調症の症状は重いものではなく、入院したことがないので比較的軽いものだといえる。
私は統合失調感情障害という診断で、初めて私の精神疾患と正しく向き合うことができるようになったと思う。