統合失調感情障害日誌

統合失調感情障害を患っている管理人のこれまでの日誌です

軽躁状態になってマンションを買った

私が最初に軽躁状態になったのは40歳の時だった。その当時、私は神経症の人たちの自助グループに参加していて、その会合では毎月の努力目標を決めることになっていた。その目標に私はマンションの購入をあげたのだ。

どうしてマンションを購入しようと思い立ったのか今となっては理由は判然としない。とにかくマンションがとても魅力的に思えたのだ。なんとしても手に入れたいと思った。独身で結婚するあてもないままに。気分はルンルンだった。

マンションを買うと決めてからはマンションの広告を調べ始めた。その中の一つが私の目に止まった。通勤時間が今より3倍近く長い1時間半ほどになる物件だった。都心からはだいぶ離れるが、緑が多い環境で価格も手が出ないほど高くはない物件だった。とは言っても3LDKで4,000万円以上はする物件だ。

当時はバブルがはじけてまだ年数がそれほど経っていなかった時期だったので、都心から離れた物件でもそれほど安くはなっていなかった。預金で半分はまかない、残り半分を35年のローンにした。

長時間電車通勤になるが、電車の中で対面する人から見られることで極度に緊張する対人恐怖の症状があった私は、その時はなんとかなるだろうと考えていた。だがそれが甘い考えだったと後で痛感することになる。

マンションを購入したことを知った職場の同僚からは「マンションを買うなんて勇気があるね」と言われたことを思い出す。確かに多額のローンを組むということは、それなりのリスクがあることだが、当時の私は大丈夫だと考えていた。

気分の高揚はマンション購入後も続いた。それまで旅行などしたことがなかった私だが、京都や岡山、岐阜など有名な観光地に勇んで旅行した。もちろん一人である。その時は自分の歩き方にとらわれていた時期だったので、旅行先でも歩き方がぎこちなくなって、後ろを歩く人から咳払いされたが、なんとか平静を装って旅行を続けた。

軽躁状態になったと言っても対人恐怖の症状は頑固に張り付いたままだったのである。長時間電車で通勤することになって、歩き方のとらわれでぎこちなくなっていることが周囲の通勤客全てに見られて知られている感覚になった。だんだん長時間の通勤が苦になってきた。駅のホームなどをぎこちない動きで歩いていると、後ろの人から頻繁に咳払いをされた。

電車内で座っていると対面の他人からどう見られているかに極度に緊張する症状も相変わらずだった。マンションを購入した当時の高揚感は徐々になくなってきた。だいたい6ヶ月くらい経った頃だろうか。その頃になると完全に軽躁状態ではなくなっていた。

極度の緊張感が耐えられず、精神科クリニックを受診し、抗不安薬(コンスタン0.4mg×朝夕1錠)の処方を受けた。抗不安薬を服用すると自分でもびっくりするくらい緊張しなくなった。電車内で他人と対面しても全く平気になったのだ。

だが抗不安薬の処方は所詮対症療法でしかない。3年ほど経過すると薬に耐性がついて効き目が弱くなってきた。2倍の量を服用しても以前ほどは効かないのだ。その上にマンションの管理組合の幹事の役が持ち回りで来そうになってきた。もし幹事になると、管理組合の会議などで幹事の役割を果たせないのではないのか、その無様な様を他人に知られることが極度に恐ろしくなった。

通勤電車での極度の緊張と、マンション管理組合の幹事就任の可能性への恐れのダブルで身動きがとれなくなってきた。

電車通勤の苦痛を恐れて会社を休んだことも一度や2度では済まない。あるときは1週間まるまる会社を休んだこともあった。

管理組合の人事は持ち回りなので、年数が経過するほど幹事就任の可能性が高くなる。

2重の恐怖でついに私はマンションを手放して、自転車通勤が可能な会社の近くに引っ越すことに決めた。35年ローンは繰上げ返済を何度か行い既に完済していた。

本来ならば物件売却に際して仲介業者を利用するのだろうが、その時の私は一刻も早く売却して自転車通勤に切り替えたかったので、物件買取業者に直接売却した。その金額は700万円だった。数年住んだだけで3,300万円余りを失った計算になる。

自分でも馬鹿なことをやってしまったと心底後悔した。なぜあんなにマンションに魅力を感じたのだろうか。軽躁状態でやったことは今となっては到底理解不能である。