5年前に東京から引っ越して地方都市の現在のアパート1階に住んでいる。
当時、私の部屋の2階には30代くらいの女性が住んでいた。引っ越してまもなくその人が偶然玄関から出てくるところに居合わせたので、その人が中年の女性であることは知っていた。ここではその女性をA子さんと呼ぶことにする。
A子さんは終日家におり、たまにしか外出しない。なぜそれがわかるかというと、A子さんが使っている軽自動車がアパートの駐車場にあるからだ。また、A子さんが住んでいる上階からの物音でもわかる。
現在のアパートに住んでから半年ほど経過した頃だろうか、上階から床を思い切り踏みつけるような「ドン」という音が毎日1〜2回聞こえてくるようになった。
「ドン」という音はとても大きく、突然聞こえるのでビクッとするような音である。
これにはまいった。1日も欠かさず毎日聞こえるので、上階のA子さんが私になんらかの執念深い悪意を持っていると考えざるを得なかった。悪意を抱かれる理由を考えても思い当たることがない。そもそも私とそのA子さんとは全くと言っていいほど接点がない。
東京でのアパート生活で、隣室からの物音について、それが幻聴だったのかもしれないという体験があったので、今回の「床ドン」も一時は幻聴かもしれないとも考えた。しかし、その音があまりにも大きな音なので幻聴だとは思えなかった。
私はなんとかしてA子さんに抗議したかった。管理会社を経由しての注意ではらちがあかないと考えた。また単に玄関の呼び出しチャイムを押しただけでは居留守を使われるだろうから、その女性と玄関先で直接あいまみえる偶然の機会を辛抱強く待った。
その機会は2年ほど経過してから訪れた。A子さんが帰宅する場面に偶然居合わせたのである。私はA子さんに「床ドン」の件で強く抗議した。A子さんは私の勢いにけおされたのか、「はい、はい」というだけで、「床ドン」については否定も肯定もしなかった。
私は今後絶対やらないようにと強く申し入れてその場は別れた。それから1ヶ月ほどは静かな日々が続いたが、それが過ぎるとまた「床ドン」が始まった。
私はもう一度、A子さんと鉢合わせる機会が訪れるのを待つことにした。
その機会は1年ほどで訪れた。「床ドン」の大きな音がしてから程なくしてA子さんが外出から帰ってきたところに出くわしたのである。私は再び「床ドン」をやらないようにと強く迫った。するとA子さんは2階にいるパートナーと思われる男性の名を呼んだ。この人をB男さんと呼ぶ。
A子さんが何度かパートナーに呼びかけてようやくB男さんが降りてきた。するとA子さんはこの人(私)が殺すと言っているとB男さんに話したのだ。もちろん私はそんな事は言っていない。私はあわてて否定した。私が先程まで「床ドン」の大きな音がしていたと話すと、B男さんはついさっきまで寝ていたと主張した。
そんなはずはない、たしかに大きな音がしていたと話すと、B男さんは私の襟首を締め上げていい加減なことを言うなと脅してきた。私はここで暴力沙汰になるのはまずいと思い、おとなしく引き下がった。
この1件があった後も「床ドンが」続いたのは言うまでもない。はたしてこの大きな「床ドン」の音は私の幻聴なのだろうか。B男さんの言っていることが事実であれば、私が幻聴を聞いていることになる。だが私としては到底そうは思えない。
そうこうするうちにA子さんとB男さんは引っ越していった。
まもなくして新しい人が2階に引っ越してきた。私はこの人が部屋から出てくるところを見た。相手は私に気づいていない。見たところ30歳代の女性だった。この人をC子さんと呼ぶことにする。C子さんは毎日一日中部屋にいた。それは上階からの物音で分かる。
C子さんが引っ越してまもなく、C子さんが起床したと思われるタイミングで、「ドン」というやや小さな「床ドン」の音がほぼ毎日するようになった。私はまたかと思った。どうしてこういう陰湿なことをする人ばかり2階に来るのだろうと。
私は幻聴か実際の音かを切り分けるためにICレコーダーで録音することにした。その成果は割と早くやってきた。ICレコーダーを再生してみると、私が「床ドン」の音を聞いたタイミングではっきりと衝撃音が録音されていた。これで幻聴でないことがはっきりした。
近頃では起床時以外でも「床ドン」をするようになった。ぜひ機会を見てC子さんには抗議するようにしたいと思う。優しい言葉でさとすように。