中学に入っても人見知りの性格が変わることはなかった。
入学して間もなく、私は他人との付き合い方が分からず生きづらさを感じた。結局どう考えても分からないので、分からないままにするしかないという結論に達した。
その後、たまたま同じ趣味の人が何人かいることを知ることとなり、同じクラブに入部して友人付き合いはその人たちとは普通にすることができた。
中学2年の時、席替えで隣となった女の子が好きになった。どういう訳か、内向的でなんの取り柄もない私とその子とは、なぜだか妙にウマがあったのだ。休み時間中にふたりで会話がはずみ、授業が始まっても話を続けているので教師から注意されたほどだ。
ある時は私がわざと消しゴムを落として、その子に取らせるようにして会話の糸口を作るようなこともした。
その子とは3年になってクラスが別々になり、関係も途絶えた。一度だけ、その子のクラスの前の廊下を歩いているときに、教室内の最後部で通路側に座っているその子と目があったが、何もいい出せなかった。その時、何か話しかけていればまた別の展開になっていたかもしれないという思いは今でもある。
高校生になると電車通学になるのだが、電車で座っていると対面する人を意識して、自分が赤面するようになった。赤面恐怖の症状である。
赤面恐怖と同時に出現した症状が歩き方へのとらわれである。自分の歩き方が変でないか、後ろを歩く人を意識してぎこちない歩き方になった。
歩き方が変でないか意識しだすと自然な歩き方ができなくなる。こうなると悪循環である。自然に歩こうとすればするほど自然には歩けなくなる。
こういった対人恐怖の症状が1ヶ月ほど続いたが、あることがきっかけでなくなってしまった。それは応援練習だった。当時の男子校では普通のことなのかもしれないが、放課後に1年生達が校舎屋上に並ばされ、上級生から応援歌の歌唱指導を受けるのだ。
上級生らは並んでいる1年生が大声で応援歌を歌っている周りを徘徊し、「声が小さい!」「もっと大声を出せ!」と耳元で怒鳴る。新入りの一年生にとっては恐怖の洗礼である。
それがショック療法になったのか、対人恐怖の症状であった赤面恐怖や歩き方へのとらわれは消えてしまった。
対人関係の悩みは高校生になっても続き、心理学関係の本を購入して内容を理解し、なんとか他者と人並みの交友関係を持ちたいと努力したのだった。
高校での生活では、中学時代から同じクラブに所属し、興味や関心が同じ2人の友人らがいたので、クラス内で孤立するということはなかった。だがクラブ活動以外ではまったくといっていいほど交友関係を持つことはなかった。
大学生になると対人恐怖的な症状は赤の他人への恐怖という形を取るようになった。道を歩いていて、他人とすれ違うまでの間に異常に緊張してしまう。そんなことが何度かあった。
こうした対人恐怖の症状は、それだけを取り出せば精神病性は感じられないが、後の統合失調症(統合失調感情障害)の発症を考えれば、明らかな連続性が感じられる。