統合失調感情障害日誌

統合失調感情障害を患っている管理人のこれまでの日誌です

壁を叩く音は幻聴か

一時期、隣の部屋から壁を叩く音が聞こえてきたことがあった。

その音はコツ、コツという音で、隣の部屋の住人が嫌がらせで壁を叩いているとしか考えられなかった。しかし、嫌がらせといっても自分には隣の部屋の住人に、嫌がらせされなければならないことなど何もないと思った。

その音は数ヶ月は続いた。隣の住人は若い女性だということは偶然目にしたので分かっている。ついに我慢しきれなくなって隣の住人のドアを激しく叩いてドアを開けるよう迫った。

しばらくドアを叩いていたらついに根負けしたのだろう、ドアを開けてきたので壁を叩くのをやめるように要求した。その部屋の住人は「なんで私が壁を叩かないといけないのか」と逆に質問してくるばかりだった。

いくら壁を叩かないように言ってもらちがあかないので、私は「このままではただでは置かないぞ」と捨て台詞を吐いてドアを閉めた。

それで隣の住人は怖くなったのだろう。数日して引っ越していなくなってしまった。ところがである。隣の部屋が無人になっても相変わらずコツ、コツという音が聞こえるのである。

この音は隣の住人がいなくなってからしばらく続いたがそのうちに止まった。

これはどう解釈すればよいであろうか。一つは壁を叩く音は幻聴だというものである。もう一つは階下の住人が音を立てているというものである。

幻聴だとすると、統合失調症の症状が考えられるが、その場合、人の声が多いとされており、物音の幻聴はかなり少ないとされている。

階下の住人が音を立てているのだとすれば、隣の部屋から叩いたように感じられる方法で叩いたことになる。階下から天井の隅の方を叩けばそのように聞こえるのだろうか。1階の天井裏に入って2階の壁際を叩けば可能だろうか。分からない。

今となっては統合失調感情障害との診断を受けているので、この壁を叩くコツ、コツという音は幻聴だった可能性が高いといえるだろう。

失感情症(アレキシサイミア)かどうかをテストする

社会心理的ストレスが原因で、身体に気質的、機能的な障害の起きる精神疾患を「心身症」という。

心身症の疾患としてよくみられるものには消化性潰瘍、過敏性腸症候群、機能性ディスペプシア、疼痛性障害などがある。

消化性潰瘍には胃潰瘍、十二指腸潰瘍、潰瘍性大腸炎などがあり、過敏性腸症候群の症状には下痢や便秘、機能性ディスペプシアでは腹部膨満感などがある。この他にも本態性高血圧、アトピー性皮膚炎、頭痛も心身症の疾患に含まれる。

心身症では、心理社会的ストレスが原因であるため、症状に対しての通常の治療では改善を見ることが困難だという特徴がある。

この心身症の原因と考えられているのが「失感情症(アレキシサイミア)」という性格傾向である。

アレキシサイミアの人には、自分の感情への気づきや感情を言葉で表現することの難しさ、内省の乏しさ、空想力の弱さといった特徴を持つ性格の傾向がある。

そうした人ではストレス状況下でそれを自覚して言葉で表現することができずに、ストレスの影響が身体面の症状として現れてくることになる。

昔から「物言わぬは腹ふくるるわざなり」ということわざがあるように、ストレスを自覚してそれを言葉として表現することができない人では、ストレスの影響が身体に出てくるのである。

私は20代に十二指腸潰瘍に罹り、再発を繰り返して最終的には胃酸に分泌を抑えるために、胃の3分の2を切除する手術を受けた。この十二指腸潰瘍は仕事などのストレスが原因の心身症の症状だったと考えられる。

アレキシサイミアの性格傾向かどうかを調べるテストにTAS-20がある。このテストは20問からなり、それぞれの質問への回答の点数を加算する。

1点 まったく当てはまらない
2点 あまりあてはならない
3点 どちらともいえない
4点 ややあてはまる
5点 非常にあてはまる

次にTAS-20の各問を掲載するのでチェックしてみてほしい

1. しばしば自分がどのような感情を持っているのかわからなくなる
2. 自分の性格を正確に表す言葉を見つけることは難しい
3. 医者にも理解できないような身体的な感覚を持っている
4. 簡単に自分の感情を表現できる
5. ただ問題を説明するよりも分析する方を好む
6. 気が動転しているとき、悲しいのか、恐ろしいのか、怒っているのかわからなくなる
7. しばしば自分の身体の中の感覚に当惑する
8. なぜそのようになったのかを解明するよりも。なるがままにしておく方を好む
9. 自分でも理解できない感情を持っている
10. 人の気持ちに共感することは大切である
11. 人に対して自分がどのように感じているかを述べることは難しい
12. もっと自分の感情を表現するように、人から言われる
13. 心の中の変化を理解できないことがある
14. しばしば自分がなぜ腹を立てているのか、わからなくなる
15. 感情に関する話題よりも、日常の行動に関する話題を好む
16. 心理的なドラマよりも、軽い娯楽番号を好む
17. 親しい友達にも自分の心に秘めた感情を明らかにすることはできない
18. 黙っていても、人に親近感を持つことができる
19. 自分の感情を理解することが、個人の問題を解決することに役立つと思う
20. 映画や演劇を鑑賞するとき、そこに隠された意味を探していては面白みがなくなると思う

注)項目4, 5, 10, 18, 19は採点を反対に行う。1点は5点と数え、5点は1点と数えるなどのように。

採点の合計点が61点以上の場合をアレキシサイミアと判定する。

採点結果は幾つだっただろうか。私がやってみたところ62点という結果となった。ギリギリ、アレキシサイミア傾向だということらしい。

どれを選択してよいか迷う質問が結構あったので、再テストを行うとまた違った結果になるかもしれない。

自分の感情を自覚し、それを他者に言葉として表現することが、身体の健康にとって重要だということが、失感情症(アレキシサイミア)概念からいうことができる。

他人の咳払いで私が簡単にタバコをやめられた理由

「タバコを止めるのは簡単だ。私はこれまでに100回やめている」という小噺があるくらい、タバコを継続して止めることは難しいことだ。

私は大学の寮で仲間がタバコを吸っているのを真似て吸い出したのだが、30歳過ぎになってタバコを完全にやめることができた。それまで何度もやめようとしてやめられなかった私だが、あることをきっかけとしてやめることができたのだ。

そのきっかけというのが「咳払い」である。

どういうことかというと、ある日から職場で在席中にタバコを吸うと(当時の職場は今とは違って、まだ在席での喫煙が可能だった)、10mほど後ろに離れているAさんが必ず咳払いをするのである。

Aさんは私が苦手とする人で、人当たりが強い人だった。職場で最初に咳払いされたのがAさんからだったのだ。あるとき廊下ですれ違う際に、Aさんが私を見ながら咳払いした。これは私がまだ歩き方にとらわれる前のことだった。

タバコを吸うときにAさんから咳払いされたときは、私が歩き方にとらわれていた時期であり、ぎこちない歩き方で後ろを歩く人から咳払いされていて悩んでいた。それがタバコを吸うときにもAさんから咳払いされることで、一層つらく感じたのだ。

その日から私はタバコを吸うことをやめた。やめてから吸いたいと思ったことはまったくない。それほど他人の咳払いは私にとって精神的にダメージを被るものだったのだ。

他人から歩き方など、当て付けで咳払いされることは私にとってつらいことだったが、唯一良かったことがあるとすれば、他人の咳払いのおかげでどうしてもやめられなかったタバコを完全にやめられたことだった。

抗不安薬の服用で体験した「明鏡止水」の境地

対人恐怖の症状に悩んで40歳代になって初めて精神科クリニックを受診した。

そこで最初に処方されたのが抗不安薬のコンスタン(ソラナックス)0.4mg錠だった。抗不安薬を服用して30分もすると、対人恐怖の緊張感が嘘のように消えて楽になったのだ。

同時に最初の服用で体のこりがほぐれ、体の関節が柔らかくなったように感じられた。ただこの感覚は初回のみで、2回目以降の服用では感じなくなった。

飲み始めてしばらく経ったある夜、部屋で横になって目を閉じていたところ、心の中が静寂に満ちた状態となった。「明鏡止水」という言葉があるが、まさにその言葉通りの体験をしたのだ。

今流行りのマインドフルネスを極めてもこの状態には達し得ないだろうと感じられるその体験は、心の中にある湖が鏡の表面のようにさざなみひとつ立つことのない絶対静寂の状態となっていることを客観的な目で観察している感覚だった。

普通の心理状態では、心が沈静化すると、その状態を意識することで、様々に新たな想念が湧き出てくるものだが、抗不安薬を服用して起きたその体験では、心の沈静化を意識していてもなお、そのまま沈静化が継続している独特な状態だった。

ただし、その特殊な体験はただの一回しか起きず、再現性がなかった。

統合失調症になりたかった学生時代

私が学生時代だった1970年代、日本の精神医学会に反精神医学に関する一種のブームが起きていた。反精神医学とは当時、伝統的な精神医学に対する反省から生まれたもので、精神病患者の人権尊重を掲げていた。

いすず書房からR.D.レインの「引き裂かれた自己」や、マルグリート・セシュエーの「分裂病の少女の手記」などが出版されていた。

私はそういった統合失調症(当時は精神分裂病と呼ばれていた)に関する書籍を何冊も購入して読んだものだ。

なぜそういった書籍を読んだのかというと、当時の私は統合失調症になりたかったからだ。といってもわかりにくいと思うが、対人恐怖の症状で悩んでいた私は、この症状が対人恐怖などいわゆる神経症圏の疾患ではなく、原因のよく分からない統合失調症から起きているものであれば納得できたからだ。

神経症では本人の考え方が原因に含まれてくるが、統合失調症は精神病であり、本人の考え方とは無関係な原因になるため、本人の責任ではなくなる。

私の症状に私の責任がないのであれば、自分でなんとか努力して治す必要がなく、症状に対する後ろめたさといった感情を感じなくてすむ。

現実に統合失調症で苦しんでいる人にとってみればとんでもない考えだとは思うが、対人恐怖の症状を持て余していた私には、統合失調症になることで症状が自己責任ではなくなり、精神科での治療対象となるので気持ちが楽になると考えた。

それから40年近く過ぎた今になって私は統合失調感情障害という診断を受けた。この診断は私にとっては長年の疑問が氷解する契機となった。私の症状は一般的な対人恐怖の症状とは、被害者的な症状が強くて少し異なっていたからだ。

私の疾患名をもっと早く聞く機会はいくらでもあったのだが、なぜか自分からは質問しづらい感覚があって、これまで医師に聞いたことがなかった。

私の統合失調症の症状は重いものではなく、入院したことがないので比較的軽いものだといえる。

私は統合失調感情障害という診断で、初めて私の精神疾患と正しく向き合うことができるようになったと思う。